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Swimming pool」2004年 フランス映画

 

 スランプに苦しんでいたミステリー作家のサラは、出版社の社長の勧めで、息抜きのために彼の別荘を訪れるが、そこに社長の一人娘・ジュリーが現れる。奔放に振舞うジュリーに苛立ちながらも、謎に惹かれるように興味を持ち始めるサラ。そしてある日プールサイドで殺人が起きる・・。

 まばゆい南仏の太陽の下にきらめくプール、サイドに横たわる若いジュリーの肢体とそれを見つめる中年のサラの間に張り詰める緊張。ある日突然プールを覆っているシートのぶきみさ。「海を見る」、「まぼろし」同様、ここでも水が舞台装置だ。オゾンがこれほど水に執着するのはなぜなのだろう。人生の何かとつながっているのだとしても、これらは暖かい思い出を想像させない、美しいが非情で無機質な、深い謎を秘めた水だ。

 

 この映画のフランス語原作を見つけたので、読んでみた。小説というより映画のシナリオといえる、ほとんどト書きのような内容だったが、これが映画になるとあんなに不安で緊張の強い作品になるのかと、かえって映像の作家としての監督の力量を思った。

 

 ところが、このあと原作の日本語訳(発行:アーティストハウス、発売:角川書店、佐野晶訳)を本屋で手に取ってびっくりした。映画のパンフレットとそっくりな表紙で、フランス語原作よりはるかに分厚い。原作があまりに映画そのままなので、これでは商売できないと編集者が踏んだのか、訳者が自分にあると思っている小説の才をひそかに披瀝するための道具にしたかったのか、内容が大きく改ざんされている。原作が平易で短いので、編集部がチェックできなかったとは思えない。ネットでウラを取ってから次の内容をアーティストハウスの問い合わせフォームに送ったが、予想どおり返事は未だに来ていない。

 

拝啓  貴社刊の「スイミング・プール」を読み、映画ばかりか原作(l’ARCHE社刊)との違いに驚いています。

 佐野晶氏のあとがきに「ノベライズにあたってエピソードが挿入され、大胆に脚色がなされている」とありますが、これはフランス語版ノベライズとの違いでもあり、ディテールが膨らんでいるのはもとより、無数の、原作にはない箇所の加筆や(三十代の女性の証明写真を発見する場面、新しい小説での4人のサラの構想等々)、原作にある箇所の削除が行われているほか(フランスに向かう列車の食堂車でのエピソード等)、場面構成が変えられているところもあります。

 また、ラストでは、あとがきに述べられているように「映画では明らかな形象を結ばずに、観客の判断に委ねる結末だったが、この小説の中ではより明確にその結末や謎に満ちたディテールが語られる」。しかし、このような場面も、原作には存在しません。

 つまり、これらは、日本語訳を手掛けた佐野氏が勝手に創作したものとしか思えません。それを、あたかも監督がノベライズ版にあたって作品内容を修正したかのように語るのは、監督の意図を歪曲することではないでしょうか。映画の、広がりのある解釈を許す謎の深さと衝撃性が、陳腐な謎解きに換わっていることに、納得がいかない気持ちを抱く読者は、少なくないと想像します。

 もしやL‘ARCHE社刊以外の別のノベライズ版原作があるのでは?と、Yahoo Franceを検索しましたが、F・オゾン公式サイトでも、彼の作品のビデオやDVDなどと並んで紹介されている小説は、L’ARCHE社刊のもののみです。また、オゾン関連のページを次々と開いても、映画と内容の異なったノベライズが刊行されれば、それに対して当然行われているはずの批評は、どこにも見当たりません。

 一体、貴社刊「スイミング・プール」の”原作“は存在するのでしょうか。それは、どこの出版社のものでしょうか。ぜひお答え頂きますよう、お願いする次第です。

 

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