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「薬指の標本」 2005年 フランス映画

 

 小川洋子の小説を、フランス人監督ディアーヌ・ベルトランが映画化。彼女の小説の多くが仏語に翻訳されているが(この作品の仏語タイトルはL’ANNULAIRE)、鮮烈でありながらほとんど心象風景のようなこの作品が、どんな風に映像化されているのかとても楽しみだった。

 清涼飲料水の製造工場で働いていた主人公は、仕事中に左手の薬指の先を失う事故に遭って工場を辞め、標本製作助手の求人の張り紙に引かれて古びた建物のドアをノックする。そこで標本技士から靴を贈られ、彼に求められるままその靴をはき続けた彼女は、不穏な運命を予感しながらも彼から離れられなくなっていく・・。

 原作では薬指が技師の視線にさらされる心の痛みやおびえが強調されているが、技師役の俳優は原作のイメージぴったりで、不意に背後から現れたり、間近で凝視する強い視線が不気味で怖い。浴室での密会、女の足に注がれる視線と恍惚、フェティシズムとそこから立ち上る濃厚な官能もそのままだ。

 原作は主人公の一人称で語られ、彼女の名前が明かされることはないが、映画ではイリスという名を持つ一方(同じく倒錯的な愛を描いた作品「Hotel Iris」のタイトルから取ったのではないかと想像しているのだが)、Deshimaruという奇妙な名の技師は映画では名前を呼ばれることはない。また、原作の舞台はほとんどが標本室のある建物の中だが、映画では、主人公が泊まる安いホテルや、クレーンが林立する港の風景、船での通勤、ホテルで部屋をシェアする港湾労働者の青年とのエピソードなどが付け加えられていて、現実味のある風景の中に、主人公の不安な心象を増幅させている。そうやって作品世界を密室から解放する代わりに、原作では住宅街に建っている研究室を、映画では林の中に設定して隔離感を保っている。

 また、原作では研究室に来た一年後に靴を贈られたことになっていて、その後も季節が移っていくが、映画では終末までがわずか2,3週間という設定で、空調が壊れた蒸し暑い部屋の中、イリスの肌にまといつく汗が性の匂いを発散している。そして、この短い期間に、状況が切迫するのと比例して、彼女はどんどん洗練されて美しくなっていく。

これら以外は、全焼した家の跡に生えていたキノコなど依頼人たちが持ち込む奇妙な物体も、標本室の雰囲気も、登場人物のセリフまで、忠実に原作が再現されていて、監督の原作への入れ込み方がよく分かる。

 ただ、小説と大きく違うのは、主人公の自分の身体に対する感覚。映画の冒頭、薬指を怪我したイリスは叫び声をあげ、処置屋のベッドで痛みをこらえるが、原作の「私」にはこうした現実的な感覚が欠けていて、指先が切断されたという事実に対してまるで人事のように無関心だ。それでいて、流れていく指先そのものの描写は、体の芯がうずくほど非常に鮮明で、彼女の痛みを読者が代わりに引き受けさせられているような感覚を抱かされる。現実から遠く離れているのに奇妙にリアルな世界は、比ゆの力によると思う。原作の描写は、技師に脱がされた古い靴や服を、二羽の小鳥の死骸やしおれた花にたとえたり、標本以外にも数々の死のイメージに満ちていて、それらの中から、主人公の強烈な欲望だけが、運命に逆らわない従順な顔をしながら、成就に向けてしたたかに突き進んでいるようだ。

 ちなみに、小川洋子は「沈黙博物館」(LE MUSEE DU SILENCE)で、同じように死とそれにまつわる物の収集を題材にしていて、標本は彼女のイメージを託す、お気に入りの題材なのだろう。ここでの主人公も、危険を感じつつも、他の選択が存在しないかのように遺品の収集を続けていく。死んだ人の状況は、みな滑稽で哀れで無意味で、それに対する作者のまるで物を見るような視線は徹底して残酷。「薬指の標本」同様、あり得ないはずの状況がヒリヒリと生理に迫ってくる、怖くて美しい小川ワールドだ。

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