シネマ大好き

 

  

 

HOME

 

 

 

映画と原作

 

 

 

写真館

 

 

 

MEMO

 

 

 

BLOG

 

 

 

LINK

 

 

 

PROFILE

 

 

 

CONTACT

 

 

「パフューム ある人殺しの物語」

2006年 ドイツ・フランス・スペイン合作 

 

 ドイツ人作家・パトリス・ジュースキントの原作を、同じくドイツ人監督トム・ティクヴァが映画化した。

 18世紀のパリ。魚市場のごみの中に産み落とされたグルヌイユは、孤児院で愛情を知らずに育ち、13歳で皮革職人に売られると、そこでも過酷な環境に耐える。類まれな嗅覚をもった彼は、ある日魅惑的な匂いに導かれて赤毛の少女を見つけ、誤って殺してしまった彼女の匂いをむさぼる。以降、初めは調香師バルディニのもとで、それからグラースに渡って香りの抽出法を学んだ彼は、究極の香水作りのために、次々と殺人を犯していく。

 まな板の上の魚の腹から引き出される内蔵、泥があふれる道、もやの立ち込める夜、少女の湿った肌、黄色いプルーン、銀に光る食器・・・。それが汚物であろうと、美しいものであろうと、草原であれ、暗い室内であれ、水気とそれを反射する光があふれ、輝くような映像美だった。群集が乱交におよぶクライマックスも、驚愕のラストも圧巻。おぞましい猟奇殺人に手を染めた主人公が、群衆の前でただ一度、愛を求める孤独な心を露わにする場面が胸を打つ。

 1985年に発表されて以来、世界中でベストセラーという原作のフランス語版「La Parfum Histoire d’un meurtrier」を読んでみた。

 濃厚な描写と緊密な構成で、映画と同じく高い香りを放っているが、主人公の人間像が映画と大きく違っていた。

映画のグルヌイユは野性的でイノセントな美しさをもっているが、原作の彼は、病気や虐待など過酷な環境を生き延びた証に、背が低く、傷やあばたのある醜い風貌で描かれ、匂いをもたないと同時に視覚的にも愛と無縁の人物だ。そのため、香りをまとった彼に人々が魅了される場面で、香りのもつ力がより強調されている。

また、最初の少女殺害の場面は、映画では、少女に話しかけられても唖然と見つめるばかりで、叫ぼうとした彼女の口をふさいだ結果として死に至らしめるが、原作では、香りを存分に味わうため、何の躊躇もなく殺害する。おそらく誰にも愛された経験をもたないために、人との接触がうまくできない情緒的な欠陥をかかえ、無意識に愛を求める映画の彼とちがい、原作の主人公は徹底した人間嫌いで、魂に欲望と憎しみしかもたない本物の怪物だ。映画では、最初に出会った少女の香りに執着し、それを再現することが香りの抽出法を学ぶ動機になっているが、原作では、香りで世界をひざまずかせたいという野望が根底にあり、グラースで再び赤毛の少女に出会って最初の体験を思い出し、人心を操るためにその魅惑の匂いを利用しようとする。捕らえられ処刑直前の場面で、完成した香水の力で人々が愛し合う光景を前に、最初に出会った少女と愛を交わすことを夢想した映画のグルヌイヌの眼からは、一筋の涙があふれる。だが、原作の彼は人々を見下して冷笑し、勝利に酔うと同時に人間への激しい嫌悪に襲われる。

原作のグルヌイユは、映画のように金属や動物から匂いを抽出できないといって師匠に怒りをぶちまけたりしない。より卑屈で狡猾だ。彼と世界との関係は、打ちひしがれるかそれとも打ちひしぐか、しかない。絶対的な孤独の中で驚くほど強靭な彼は、結局自身の中の虚無に力を奪われる。そんな主人公とまわりの者たちを、作者は最後まで非感情的に、ドライに突き放して描いている。これは悲劇なのか、喜劇なのか。

 主人公は、匂いそのもの以外は、人間どころか香水の原料である木々や花の美しさにも興味を持たず、世界を認識する彼の眼は憎しみと嫌悪に満ちている。だが、その彼の感覚を通して描かれる猥雑な世界は、細部まで生命力と美しさにあふれ、官能的で生きる喜びに満ち、街のきたなさや人々の蒙昧さまでが肯定的に感じられるのは不思議だった。

 

このページのトップにもどる