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「約束の旅路」 2005年 フランス映画

 

 自身もユダヤ人であり、ルーマニアからフランスへの移民であるラデュ・ミヘイレアニュ監督が、エチオピアからイスラエルに移ったユダヤ人の物語を、同時に映画と小説で発表した。

 物語の背景は、1984年から翌年にかけて、イスラエルがアメリカの協力により、「ファラシャ」と呼ばれるエチオピアにいるユダヤ人をイスラエルに帰還させた「モーセ作戦」。

映画の冒頭、ファラシャたちが、イスラエル行きの便が待っているスーダンの難民キャンプを目指した道のりで味わわねばならなかった苦難が語られるが、小説によると、彼らは財産をはたいて雇ったガイドに強盗されて殺されたり、病気や飢えで力尽きていった。エチオピアは移民を禁じており、自分たちの足跡を隠すため、遺体は墓標もなくただ埋められた。また、たどり着いたスーダンはイスラム教国で、アメリカによる買収で彼らを受け入れる密約があったにもかかわらず、それが徹底されることなく、ユダヤ人であると分かるとエチオピアに送還され、拷問のあと処刑された。そのため、ひたすらユダヤ教の風習を隠さねばならなかったが、スーダンまでの道程と同じく、律法に背くのをよしとしなかった多くが自ら命を絶ったという。

一方、スーダンのキャンプには、干ばつや飢饉に見舞われた人々が、アフリカ各地から集まっていて、この作品の主人公はこの中にいたキリスト教徒の少年だ。彼の母は、家族のうちただ一人生き残った彼を、息子を失くしたばかりの女に託してイスラエルに向かわせる。

新しい地で彼はシュロモと名乗り、先進国の生活様式やヘブライ語を学ぶが、何よりの試練は、ユダヤ人でないことが知られてしまう恐怖と、周囲をだましている罪悪感だった。彼を伴った女性が死に、孤児となった彼は愛情深い白人夫婦の養子になるが、キリスト教徒でありながらユダヤ教徒を名乗り、母をキャンプに残しながら孤児だというウソに苦しむ。さらに彼は、白人の社会に暮らす黒人として、人種差別とも戦わねばならなかった。何度も襲う危機的な状況を、養父母や母方の祖父、宗教指導者らが温かく支える。

原題「VA, vis, et deviens」は「行け、生きて、何者かになれ」という、主人公と別れるときの母親の言葉だが、作品を貫いているのは、母への思いを胸に、とにかく生き延びることを選択しながら手探りする、主人公のアイデンティティーの模索だ。エチオピア人であり、文化を身につけた意味でユダヤ人であり、養父母の母語であるフランス語を話しパリで学んだ点でおそらくフランス人でもある彼は、17年の旅路の末に、国境なき医師団としてスーダンのキャンプに戻る。

小説によると、イスラエルはファラシャの帰還に先立ち、イラクやロシアやルーマニアのユダヤ人の帰還を進めたらしい。登場人物たちもさまざまなルーツをもっていて、祖母や養母はチュニジア出身で、フランスを経由してイスラエルに入国、養父の親友で会社のパートナーである人物はパレスチナ人、養母が買い物をしてあげる老婦人はカナダからの移民と説明されている。

映画では、デモの場面や、「月に12人が自殺している云々・・」という警官の言葉、ユダヤ人を詐称した罪でエチオピア人が訴えられているというケスの電話で、約束の地と信じた国でファラシャが耐えた苦境が示されるが、小説では、夜明けのバス停でファラシャがコカインを打つ場面があるほか、社会から落伍した他の移民たちがののしり合う場面もあり、ユダヤ人社会の中の幾層もの差別が伺われる。

「モーゼ作戦」と並んで重要な作品の背景は、ラビン首相の暗殺やインティファーダなど、激動する中東情勢で、主人公たちは常に危機と隣り合わせにさまざまな選択を迫られる。物語は2001年で終わるが、難民キャンプの状況にしても中東問題にしても、深刻な状況が変わっていないことを考えると、この作品の内容は非常に重い。

ところで、小説は、パリ留学の章を除いてはすべて現在形で書かれていて、まるでシナリオのような感じを受けた。作者は映画のような臨場感を狙ったのかもしれないが、すべて現在形だと、内容に関わらず印象が軽くなる。これは発見だった。

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