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「石の微笑」 2004年 フランス映画

 

 イギリスのミステリー作家・ルース・レンデルの原作を、クロード・シャブロルが映画化。

 建築関係の仕事をするフィリップは、妹の結婚式で花嫁付添い人のセンタに出会い、自分の家の庭にあった石造フローラとの酷似に驚く。彼女はその夜にフィリップを誘惑、二人は激しい恋に落ちるが、センタはフィリップを運命の人だといいながら、彼からの連絡を何度も無視。彼女への渇望と不安を抱えて懊悩するフィリップに、彼女はある日、自分への愛の証に同性と寝ることや人殺しを要求する・・。

空き室だらけのアパートでなぜか薄暗い地下室に住み、妄想とウソのにおいがするセンタ。彼女の話していたことが事実だと知って安心したフィリップは、彼の母を捨てた男を殺した、というセンタの言葉に身構えながらも、今度はそれがただの作り事だと突き止め、再び心の平安を取り戻す。愛と恐れの間を行き来する主人公の心の揺れとともに、息詰まるような不安感が覆う作品だった。

マスコミが騒ぐ女子大生殺人事件、苦し紛れにフィリップがセンタに偽りの告白をした浮浪者殺人、そしてセンタが自ら犯したと主張する殺人。それらの真相が不気味に伏せられ、センタの言葉の真偽も謎のまま、ストーリーは驚愕のラストに向かっていく。

原作のフランス語訳「La Demoisell d‘honneur」(花嫁付添い人)を読んでみた。

映画はフランス南西部の地方都市が舞台だったが、原作はロンドンとその周辺が舞台で、主人公と恋人以外は名前も少しずつ違い、母の恋人の出張先も、映画ではイタリアだが、原作ではロサンジェルスになっている。

大柄でふてぶてしく、不気味な雰囲気を漂わせる肉感的な映画のセンタと違い、原作の彼女は、石像のように白い肌、プラチナブロンドの長い髪をなびかせる小柄な美人で、暴力と結びつかない外見を理由に、主人公は何度もわき上がる彼女への疑念を振り払う。

フィリップがセンタから離れる機会を失っていく過程はより複雑に描かれる。彼は、始めセンタの虚言症を疑い、彼女の言葉が事実だと知ったあとも、その中に虚栄心によるウソを見抜くが、彼女が都合によって真実を話したり脚色したりすることから、殺人の話も彼女の幻想好きのせいだと考え、だから自分の話した浮浪者殺しも、センタは本当でないとわかっているはずだ、と思い込む。何よりセンタの魅力に囚われている彼は、眼の前の疑惑に対峙できず、時折見せる彼女の凶暴さにも眼をふさぐ。

自分たちの愛は特別で、この世の法律やおきてを超越している、と主張するセンタの究極の理想主義。それを貫こうとする彼女の狂気と、常識的な尺度で行動を測ろうとするフィリップの思考は最後まで交わらない。暴力を嫌い恐れる繊細で優しい男が、邪悪な魂に魅入られた皮肉。映画のフィリップは、センタの犯罪を知った後も彼女への愛を引きずっているが、原作では、嫌悪にさいなまれ別れを決意。だが、結局は彼女の自分への愛の“純粋さ”に絡め取られる。

主人公の意識に絶えずつきまとう石像だが、彼が母親の元恋人の家の庭に放置されたそれを盗んだことが、映画と違って彼の立場を抜き差しならないものにする大きな布石となっている。石像の、虚空を見つめる超越した眼差しと、センタの現実から切り離された狂気の眼。映画に出てくるのは女優の顔に似た胸像だが、原作の石像は、花嫁付添い人としての出会った時のセンタと同じように、スカートの裾をつまんで花束をもった全身像で、原作では両者のイメージが絶えずオーバーラップされるなか、主人公が魅入られたものの正体が明らかになっていく。

また、映画でセンタへの不安と疑念を掻き立てるのは、彼女が鳴り続ける携帯をベッドにころがしたまま見つめる場面だが、‘98年作の原作に携帯電話は登場せず、主人公を不安にするのは、センタのアパートにくすぶる異様な臭気だ。愛欲の表現は映像よりなお直接的で、散らかり放題の不潔な部屋で女に溺れる主人公の背後に、周到に隠された秘密が匂っている。

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