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「潜水服は蝶の夢を見る」

2007年 フランス・アメリカ合作

 

脳梗塞により閉じ込め症候群に陥った元「ELEE」の編集長・ジャン・ドミニク・ボービーが、唯一動かせる左目のまばたきで綴ったエッセー「Le Scaphandre et le Papillon(潜水服と蝶)を、アメリカ人監督ジュリアン・シュナーベルが映画化した。
 冒頭、やや下のアングルから二人の医師が話す画面が映り、その焦点がぼやけたり合ったりが繰り返される。脳梗塞による昏睡から目覚めた時に主人公が初めに眼にする場面で、言っているはずの言葉に、耳をふさいだ時に聞こえるような、彼の呼吸音がかぶさっている。これ以降、意識が明晰なまま、動かせない体に閉じ込められてしまっている主人公の眼が見ている世界を、観客がともに経験することになる。
 眼球を守るためだからと右目のまぶたが縫われ、視界が奪われていくのに声も上げられない。まるで自分がされているようにリアルだ。次々に左眼のすぐ前に現れる妻や友人の顔。赤ん坊のように体を現れることへの自嘲。観ているテレビを不意に消されても心の中で叫ぶだけだ。
 そんな状況に、言語療法士のアンリエットと理学療法士のマリーが光を差し込んでいく。アンリエットは、頻度順に言うアルファベからまばたきの合図で文字を選ぶ方法で、コミュニケーションを取ることを提案。絶望に心を閉ざしていたジャン・ボーが、自分の内に残る想像力と記憶の力に希望を見出したところから、場面は彼の固定された視点から大きく飛躍する。
 スキーで滑降し、見知らぬ土地を旅し、古い映画の主人公になる空想。それは蝶のように時空をはばたく。一方で、華やかだった仕事の風景、恋人と別れることになったルルドへの旅や、父親との最後の語らい、飛行機のチケットを譲った友人を襲った不運など、現実の過去の思い出も、愛惜と悔恨を込めて語られる。それらの映像が鮮やかで美しい。
 登場する女性たちはみな魅力的で、ジャンは発声のために舌の使い方を指導するマリーに悶々とし、妻のスカートが風に吹かれ足が見える場面も、彼女の朗読を聴くどころじゃないようだ。こんな反応はとても滑稽だが、彼に残る命の輝きでもあり、多くの恋愛を楽しんでいた事故以前からの彼の生の連続でもある。こうした場面や、主人公の周囲や自分への数々の皮肉な観察のために、深刻なはずの内容に暗さや重苦しさは感じられない。
 ちなみに原作では、眼の前の現実の女性たちについては多くを語らず、その記述にも性的な視線は感じられない。ミニスカートやぽってりした腕など即物的な視線を向けられるのは思い出や想像の中の女性たちだが、それは失った仕事や生活への懐かしさであふれている。主人公のいる病院を名づけたナポレオン3世の妻・ウジェニーの幻想も、映画では彼女とキスを交わしているが、原作ではドレスの裾にうずめた彼の頭を彼女がなで、慰めの言葉をかけるという母性的なもので、聖母マリアのようなイメージを感じた。
 また、恋人からの電話を妻が仲立ちする緊張の場面も原作にはなく、画面に3人現れる子どもも、実際は2人。チケットを譲った友人が中東で人質になったエピソードも、作者が譲ったのは香港行きのもので人質事件とは関係がなく、4年の苦難の末に戻った友人を前に、なぜ彼に電話をしなかったのかと恥じたりしない。映画の主人公の方が実際よりさらに危うい人間関係を生きているようだが、現実味があって、それらを先に書いたような図らないユーモアが救っている。

唯一主人公と世界をつなぐ窓である左目。その観察は原作でもシニカルで、アルファベの解読にせっかちで失敗する者、堅実だが融通がきかず推測なしで綴りを最後まで言わせる者など、自分とコミュニケートする周囲を評価する描写には、私はどっちなんだろう、と自分を計られているような感覚があったし、彼のSOSに気づかない鈍感さや分かっていながら無視する良心の欠如などの描写も、彼の視線が自分に向けられているように感じられた。

アルファベットを一つひとつ拾っての会話は、映画の場面を見ていても気の遠くなるような作業だが、本の執筆に使われた時間と努力は膨大だったはずで、手助けする編集者の忍耐力もすごいが、紙もペンもちろんパソコンも使わずに文章を作りそれを暗記し、正確に伝えた主人公の努力も尋常でないと思う。

だが、そうやって綴られた文章は、驚くほど軽やかでウィットに富んでいる。自分の徹底した無力さに、ある時は悲哀と絶望が、ある時は哄笑が沸きあがる。そんな心の揺れを見つめながらも決して忘れないユーモア。一方、記憶や想像の中の旅に登場するさまざまな場所やゆかりの人々は、締め付けられるような憧憬と愛惜に彩られ、未来がまだ失われていないと思っている者にも、自分の過ぎ去った人生に同じように遠い眼を向けさせる。そして、現在の自分を取り巻く人々の支援やはげましを語り、何気ない日常の断片に心を動かす時、それを読む者の胸に今を生きることのかけがえのなさと静かな希望が、恩寵のように灯される。確かに驚くべき作品だった。

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