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「エンジェル」 2007年 フランス映画

 

 1957年に発表されたイギリスの作家エリザベス・テーラーの小説を、フランソワ・オゾンが映画化。オゾンにとって初めての英語作品。

 貧しい界隈で母親の営む食料品店の二階に暮らしながら上流階級の暮らしを夢見るエンジェルは、強烈な憧れをペンに乗せ、奔放な想像力と文才でベストセラー作家となる。名声とお金、幼い頃から憧れたパラダイス屋敷での生活、美男の画家エスメとの結婚、と望んだものすべてを手にする彼女だったが、戦争が勃発。志願した夫との別れに憔悴するばかりか、時代に会わなくなった作風に読者も彼女から離れていく。そして、全霊をかけて愛した夫の裏切りを知った後には、生きる気力も失われてしまう。

 主人公は傲慢でイヤな女だが、夢に向かって猛進する姿や夫に傾ける一途な愛はけなげで、凋落していく姿は哀れだった。貴族出身で母は元ピアニストだったと自分の出自を偽るが、才能以外何も持たない貧しい女が社会の階段を上るためには必要な手段だったのかもしれない。うそつきで虚飾に満ちた人物だが、彼女に対する監督の視線には冷笑的なものは感じられない。

 原作のフランス語訳「Angel」を読んでみたが、主人公は映画よりはるかにグロテスクな人物だった。

映画のエンジェルも、シャンパンを栓抜きで開ける間違いを編集者に指摘されたりするが、原作では原稿は誤字だらけのうえ、歴史的事実を調べもせずに時代ものを書き、文学賞を獲ってすべての人を引き付ける映画の彼女と違って、大衆受けはしても知識人や評論家からは酷評される。だが、批判からは目をそむけ、人々に忘れ去られても、なお過去の栄光にしがみついて自分の作品が永遠に不滅だと信じ続ける。

映画では母とは親子の情愛があり、その死に悲嘆に暮れるが、原作の彼女は徹底して母を軽蔑し、弱った体にも同情を寄せず、母は孤独のうちに死んでいく。他人に対する冷酷さ、身勝手さは彼女の大きな特徴だ。映画では編集者セオの妻ハーマイオニーは出版社のオーナーとなっているが、原作ではただの妻で、エンジェルは彼女を執筆とは無関係なさまざまな雑事にこき使ううえ、恩人であるセオに対しても、絶えず不当な不満を訴えて悩ませる。

エスメの暗い画風を嫌いながら、本心を隠して彼の歓心を買うのは映画と同様で、どちらも二人の間には初めから偽りが存在する。だが、原作での二人の関係はより歪んだものだ。

映画の新婚旅行の場面は、明るい色彩に溢れながらも作り物のような背景で、二人の幸せが文字通り“絵に描いたもの”でしかないことを表してはいるが、少なくとも二人には愛があり、パラダイスハウスで暮らし始めた彼女は精力的に作品を書くし、立派なアトリエを与えられたエスメも絵に没頭する。これに対して原作では、結婚後の彼女は筆が進まなくなり、エスメは庭仕事に興味を抱いて画業を放り出す。新婚旅行時から亀裂は顕著で、エスメはエンジェルに辟易しているが、彼女は彼に自分への賞賛を強いつつ二人が理想的な夫婦だと信じ続ける。

映画の終盤、エンジェルが知ることになるエスメの不貞の相手は、かつてパラダイスハウスに住んでいた同じ名前のお嬢様。幼い頃からライバル視し、自らの成功によって乗り越えたと思っていた相手が、自分の最愛の人の長年に渡る愛人で、しかも彼女の結婚が彼の自殺の原因だったというのは、受けとめるには重すぎる事実だ。エンジェルは自分が勝ち取ったと信じていた愛や成功の虚像を目にして立ちすくむ。

これに対し、原作ではエスメの相手はローラという名の見知らぬ女で、エスメの死も彼女と関係がない。そして、彼の裏切りの証拠を目にしたエンジェルは、一時は激しく動揺するものの、根拠を否定するセオの説得に耳を貸して事実から目を背け、あくまでも自分の思い込んだ理想の夫婦像を堅持する。

原作のエンジェルは、教会や戦争を批判して四面楚歌のなかで奮闘するが、それは自分に都合が悪いという個人的な理由からで、彼女は自分の生活に関係が及ぶ範囲でしか戦争の悲惨さを想像しないし関心も持たない。自分に都合の悪い事実を偽り、向き合わないというのは確かに弱さであり、セオは彼女の極端な傷つきやすさを最初の出会いで見抜いている。だが、彼女の場合、全編を貫くのは極端で強烈なエゴイズムで、オゾン監督が「彼女に恋をした」、と語っているのは、この強烈なエゴのオーラに惹かれたのではないだろうか。原作のエンジェルの滑稽さや醜悪さを残しつつ、映画の彼女は、愛する人には自分からプロポーズする現代的な女性で、身勝手であるけれど魅力にもあふれる彼女が、自分の才能を信じて進んだサクセスストーリーの果てに現実からの手ひどいしっぺ返しを受けるという作り変えによって、彼女を悲劇のヒロインにしたのだと思う。

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