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「地上5センチの恋心」 

2006年 フランス・ベルギー合作

 

 「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」の原作者エリック・エマニュエル・シュミットの初監督作品。

 百貨店の化粧品売り場で働くオデット・トゥールモンド。夫とは死に別れ、美容師の息子ルディはホモでしょっちゅう相手を変えるし、娘のスー・エレンは無職で、肥満の無職男と家に同居。見た目は苦労の多そうな生活だが、彼女はバルタザール・バルサンの小説に夢中になっているせいで毎日がハッピー。

 そのバルタザールは、テレビで酷評されて落ち目になり、自分のせいで息子がいじめられたうえ、妻がくだんの批評家と浮気をしていると知って自殺未遂をしてしまう。自信喪失と孤独にさいなまれる中、妻に会うのを避けるために病院を抜け出した彼は、オデットから贈られた手紙に気付いて感激。彼女の家を訪ねて居候を頼み、憧れの作家をかくまうオデットの夢のような生活が始まる。

  オデットは、普通に入浴していてもジャングルに囲まれたバスタブにつかっているつもり。職場では化粧品が踊りだす。生活のすべてが幸せな幻想に包まれているけど、実際には地に足がついた堅実な女性。教養はないけれど、慎み深い賢い女性だ。

  有頂天になりながらも、バルタザールと自分が住む世界が違い、彼が行きずりで自分に関わっているのを知っている。彼が自信を取り戻すのを支え、帰るべき家族の下に帰してあげようと思う。だが、心の底では彼との恋を望んでいるので、実際には求愛に応じなかったのに、職場の友人に事実と反対の告白をし、仲間たちの嫉妬を買ってしまう。理不尽に怒りをぶちまけられても争わない静かなオデットは、見事に大人の女だと思う。

原作「Odette Toulemonde et autres histoires」を読んでみた。あとがきによると、シュミットは撮影の合間のわずかな時間を見つけては小説を書いていたそうで、オデットの話はそのうちの一遍。映画の脚本を小説にしたものだという。

主人公がバルタザールのサイン会に行く様子は「鳥のように軽やか」で、読書によって彼女は「トリップ」。こんな普通の表現が、映画では、読書に没頭する主人公がバス席から浮き上がったり、バルタザールの世話をするうれしさで街を眼下に空高く飛び上がったり。小説で「心にジャズがある」と表現されるオデットは、映画では文字通りジョセフィン・ベーカーの歌に合わせて踊りまくっていて、小粋だけど地味な短編と比べてみると、映画は歌とダンスと幻想にあふれて華麗。改めて映像表現の自由さを感じるが、逆に言えば、同じ作者によるノベライズにしては、小説はずい分こじんまりとまとまっている感がある。

ちなみに、小説にはオデットの職場は描かれず、恋人に殴られた女性客にアドバイスする場面も、同僚たちとのやりとりの場面も出てこない。その一方、オデットの住む鉱山街のアパートの貧しさが強調されていて、そこの住人も、映画に登場するスワッピング趣味の夫婦のほか、子連れの若い薬中の女や人種差別主義者の老人などがいて、オデットは彼らに隔てなく世話をし、相手を批判せずあるがままを受け入れる姿にバルタザールは癒される。バルタザールに対するオデットの気持ちを中心に描いている映画に対し、小説では、こうした環境のなかで幸せを見出す彼女との生活によって、バルタザールが今までの自分の生活の欺瞞に気付き、金や名声を追い求めて“他人の幸福”を生きるのではない、本当の幸福に気付く様子に、よりウエイトが置かれている。

バルタザールは、小説では非常に高い知性が強調されているが、何だかとってつけたよう。映画と同様、繊細すぎてひ弱でどこまでも喜劇的。彼の魅力は、オデットのようにその作品を読まないと分からないということだろう。これに対して、映画も小説も、何よりの魅力はオデットその人だといえると思う。

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