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「エヴァの匂い」 1962年 フランス映画

 

 イギリスの推理作家ジェームズ・ハドリー・チェイスの小説「エヴァ」を、ジョセフ・ロージーが映画化した。

 作家のティヴィアン・ジョーンズは、自分の処女作が原作の映画がヒットして注目され、美しい婚約者がいる身でありながら、嵐の夜に別荘に上がりこんできたエヴァに一目ぼれし、彼女にのめり込んでいく。エヴァは、初めはテぃヴィアンに眼もくれず、やっと体を許しても、恋をすることを禁じて彼を弄ぶ。会うのを拒み続けたかと思うと、超一流ホテルでの滞在を要求。最後の朝に金のことで散々彼を侮辱して追い出しておきながら、ティヴィアンが結婚すると、今度は電話で彼をおびき寄せ、二人が別荘にいるところを見たフランチェスカは自殺してしまう。

 上等な服に身を包みながら、乱暴でふてぶてしいあばずれの女。冷酷で非情なファムファタールと、彼女に魅入られて転落していく、無力な男の物語だ。

 原作のフランス語訳「Eva」を読んでみた。映画の舞台はイタリアのヴェニスだが、原作ではハリウッドで、エヴァ以外の名前も、主人公はクライヴ、婚約者はキャロルになっている。

 映画でただ清純で不安げな美しい婚約者は、原作では、有能なシナリオライターで、主人公の仕事を手助けし、愛情あふれた魅力的な人物。クライヴは、彼女を愛し必要としながら、だらしなくエヴァを求めて彼女を裏切っていく。原作では、二人が身を置くハリウッドでの仕事、業界の面々やそのドンとのいざこざ、仕事に取りかかっては失敗していく主人公の軌跡と、エヴァへの執着が重なり合い、ストーリーはより複雑だ。

 だが、一番の違いは、二人の不条理な関係の理由が説明されているか否かだと思う。

 映画で、炭坑夫上がりであることを隠しているティヴィアンは、その事実ばかりか、自分の小説が実は死んだ兄の作品だという秘密をエヴァに告白するし、エヴァも、すぐに作り話だと打ち消すものの、ふと、恵まれなかった生い立ちを口にする。二人は相手の中に、自分と同じ惨めさの影を感じとっていたのかもしれない。金持ちを見つけては誘惑し、破滅させてきたエヴァが、浮き草稼業でありながら裕福な男の妻に見せかけているのも、見栄なのだろう。

上流階級の中で、周りをだまして生きている点でも、粗野で、どうしようもなく欲望を自制できない点でも、二人は似たもの同志に見える。おそらく、ティヴィアンは、ミステリアスで、しかも自分に似ている彼女に惹かれ、エヴァは、自分に似て不安定で粗野だから彼を受け付けないのだ。だが、結局のところ、なぜエヴァがティヴィアンを拒絶し続け、それにも関わらず、彼が彼女を求め続けるのかは、エヴァが魔性の女だから、という以外は観る者の解釈によるだろう。

一方、原作の彼らは、自分の過去を相手に語ったりはしない。映画と違ってクライヴは初めからエヴァが娼婦だと知っていて、彼女を丁寧に扱うことで他の客との違いをアピールしようとし、すぐに仕事をしようとするエヴァを止めて友人のように振舞う。彼女をコンプレックスから救ってやろうと考える。だが、彼女にとってそんな計らいはめんどうでしかなく、彼の思惑にはまるには、別の客との逢瀬で忙しい。エキセントリックで、気難しく、無謀なほど率直で、客の気をひくために惚れたふりなどしないが、彼女は娼婦として生きるプロなのだ。

クライヴがエヴァと出会ったのは、盗作した戯曲のあと、自分で書こうとした作品に行き詰まっていた時期で、キャロルを含めて、まわりにいる者たちの才能や社会的な力にコンプレックスを感じていた彼は、明らかに自分よりも劣っていると感じるエヴァに惹かれ、一見手強そうな彼女を屈服させることで安心しようとする。そのため、彼女が期待どうりに反応せず、冷たくあしらわれればあしらわれるほど、怒りと飢餓感で彼女に執着していく。そして、仕事につまずき、無力感に襲われるたびに、彼女に会わずにいられない。

映画の主人公は、すべてを失くした後もなおエヴァを追っているが、原作では殺意を抱いて訪れた夜に半殺しにされて追い出され、それが彼女との別れとなる。原作は、エヴァから離れたクライヴが、過去を振り返って、破滅にいたる自分の愚かな所業を語るという形をとっており、エヴァに対しても、終盤、その心理が分析的に説明される。

自分を手ひどく扱う男と一緒に暮らしているのは、子どもの頃から慣れた境遇だからだ、夫がいるというウソは、その彼と結婚したい、と思い描いている理想なのだ、云々・・。その分析は鋭いが、結局娼婦というものは、と一般な帰納がされる。原作では誰もがエヴァを軽蔑していて、結局主人公も、やっとみんなと同じ目線で彼女を哀れむようになった、ということだ。確かに、エヴァはただの性悪な娼婦だった。だが、彼も、彼女にとって、勘違いのただの愚かな客だった。

いつまでも目が覚めない映画のティヴィアンは恐ろしく愚かだが、エヴァに対する軽蔑はない。そして、結局、エヴァにとっての彼が一体何なのかも、謎のままである。

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