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「厳重に監視された列車」1966年 チェコスロヴァキア映画「英国王給仕人に乾杯!」のイージー・メンチェル監督が、同じくボフミル・メンツェルの原作をもとに、1966年に撮った長編デビュー作。当時わずか28歳。翌年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。この監督の作品の多くが日本未公開というのが本当に残念だと思う。 ナチス・ドイツ占領下のチェコ。爆撃で破壊された建物や、不安そうな顔の人々の写真にかぶせて勇ましいマーチが流れて始まるが、舞台は貨物列車しか通らないさみしい駅で、主人公は、そこで駅員になったばかりの気弱な青年だ。 ミロシュ・フロマは内気で不器用で、自分に好意をもってくれているマーシャとのキスのチャンスもものにできない。職場の主任フビチカは正反対に手が早く、駅長室でことにおよんでは駅長を怒らせる。その駅長は、駅のまわりの鳩をこよなく愛する一方で、駅監査院に任命されるのを夢見て服を新調。そして、彼も女性客をくどかずにいられない。 マーシャの誘いで何とかベッドインしたものの、うまくできずに絶望したミロシュは、連れ込み宿で手首を切って自殺未遂するが助けられ、早漏だがあせってはいけない、できれば年上の女性に手ほどきをしてもらうといいと医者に助言される。二日後のデートを成功させたいと焦り、駅長やフビチカに妻やお姉さんに協力を頼めないか、と相談して断られるミシュロの姿は、切実でそしてこっけいだ。 一見のどかな駅の日常に、戦争は遠いようで近い。毎日通過する貨物列車、駅舎で交わされる、ナチスが家畜にひどい扱いをするという話、パルチザンが駅を破壊したという話。マーシャとうまくいかなかった翌朝の爆撃。突然駅にやってくるドイツ軍将校たち・・。 ミロシュが男として恋人の期待に応えられるかどうかを追う一方で、占領されているチェコの現実が次第に迫り、突然ミシュロを飲み込んでいく。このリンクが見事だった。 フビチカが夜勤の時に電信技士の少女を誘惑してお尻に駅のスタンプを押すが、これを見つけた彼女の母親は、彼を罰しようと警察や裁判所をまわっていく。初めは問題にもされなかったエロチックないたずらが、ついに駅委員会にまで届き、フビチカが告発されることになる過程もスリリングだ。 独軍の軍用列車を爆破するための装置を届けにきたレジスタンスの女性に手ほどきを受け、無事に童貞を捨てたミロシュは、今までの硬さがとれ、生まれ変わったかのよう。 そこへ、フビチカを尋問するために知事が現れる。重大事件であるかのように、ことの次第をこと細かく質問するこっけいさ。その横で手はずどおり爆弾を用意するミロシュ。もうすぐ列車がやってくる。今まで何事もまともにできなかった男は、今大仕事をするのだ。やってきたマーシュに少しだけ待つようにいって、信号灯に上っていく彼。その後は彼女と今夜の約束をするはずだった。 おかしくて、エロチックで、切実で、希望があって、そして突然それが消し飛ぶ悲しさ。呆然として、しばらく立てないような感覚に襲われた。 原作のフランス語版「Trains etroitemment surveilles」を読んでみた。原作は、主人公の一人語 原作では、語り始めの時点で、主人公はすでに3ヶ月前に自殺未遂を起こしていて、その彼が、過去を思い出しながら現在を語る、という設定だが、物語が時間軸に沿って着々と進む映画と違って、ここでは主人公の意識の揺らぎのままに、一つの事柄に、それから連想された別の事柄がいくつも続くせいで、時間は現在と過去をとりとめもなく行き来する。そのため、自殺未遂のことも、マーシャとの成り行きも、駅周辺やドイツ軍のことも、あちこちに断片を積み重ねるようにして、少しずつ説明されていく。 また、映画では、フビチカの尋問とミロシュの列車への爆弾投下の準備が同時に進行し、サスペンスのような緊張を生んでいるが、原作では、爆弾投下は尋問のあと、フビチカと一緒の夜勤の時に行われる。映画ではフビチカは逮捕され、それと同時にミロシュの任務が遂行されるが、原作のフビチカのその後の運命は分からず、悲劇は主人公だけに起きている。 原作では、現実に起こったことの描写に混じって、想像の描写が、同じ強さで行われたりするのだが、その悲劇の場面も、爆発によって動揺したり負傷したりするドイツ兵の様子の想像と、自分に撃たれ、実際に目の前で死んでいく一人の兵士の描写が、どちらも同じ生々しさで描かれる。 飛行機の残骸の下に見えた人の体。パルチザンによって爆破された列車の中に見つけた靴。処刑された人の血を洗う仕事をしていた近所の女性の話や、瀕死のドイツ兵をモルヒネ注射で死なせていた叔母の話など、一度しか語られない人々が強烈な印象を残すほか、足を天に向けて死んでいる馬や、過酷な状態で輸送されるさまざまな家畜たちが、繰り返し描かれる。悲惨な状況のなか、死の臭いがあちこちに立ち上り、それらの直接的な描写のなかに、比ゆの多い詩的な表現が混じるのも、「英国王給仕人に乾杯!」の原作と似ていると思う。 二つの原作の印象が似ていても、二つの映画のそれは、片や明るい画面にお伽話が繰り広げられているようで、片や、くすんだモノクロの画面にサスペンスが進行し、大きく違う。監督が同じことを思えば驚きだが、どちらも、時代の不条理に翻弄される名もない人間の、可笑しさと悲しさを、半ば突き放した視線で描いている点は共通していると思う。 |
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